あのとき分からなかったQXが

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目次

  1. 目次
  2. はじめに
  3. テキストファイルを知った日
  4. QXを知った日
  5. マクロを知った日
  6. QX_MLを知った日
  7. さいごに

はじめに

たくきさんがQXの本(正確には「QXの本」ではないのでしょうが……)を出すことになり,ユーザの出張版ホームページも収録するという話を聞きました。私もこのような形で参加させていただきます。QXユーザーの長谷川といいます。あらかじめお断りしておきますが,ですます調の文章はこの「はじめに」と「さいごに」の二つだけとなっております。次に読み進んだときに,文章の変化に戸惑わないよう,ここで意識の中に入れておくだけはしてください(それでも戸惑うことは予測がつくのですが)。

多くの人がQXについて語るうえ,たくきさんの本文でもQXやその使い方について多くの紹介がされることと予想できます。私がこのページを書いている時点では本文の内容は分からないのですが,もし私の想像するような内容ではなかったとしても,私のような人間が「サルでも分かるQX」だの「初心者のためのマクロ講座」などを書いてもたかが知れています。それよりは自分の視点からすべて語った方が,面白いものができる可能性があります。それで,そのようにしました。私が楽しみにしているのは,もちろん以下に続く自分の文章がどのようになるかということも楽しみの一つではあるのですが,その他の人のページがどのようになるかということが楽しみでなりません。

私のページは上記の目次のような構成になっています。それぞれの事柄を初めて知ったときの状況を思い出しながら書いていくという,まったく文章中心の内容になっています。別にその日がどんな日であったかは内容には関係がないので,タイトルと内容は正確には一致していませんが,では,「テキストファイルを知る前の私の環境と,その後の心理的変化」といったタイトルをつけるとよいのかというと,今度は話を膨らませたときにタイトルと内容の不一致が発生する可能性があるので,タイトルはそのままにしました。適当に話が逸脱したときにも対応できる便利なタイトルだと思います。

私がQXを使い始めたのは 1997年の中頃だと思いますが,正確な日付は覚えていません。当時私は学生で,QXをダウンロードして使っていたにもかかわらず,無料特典としてタダで使っていました。ヘルプファイルを読めば分かりますが,QXは学生の間は無料という特典があります。学生の頃は3000円でも高かったのでとても助かりました。これも余談ですが,社会人になると3000円など屁でもなくなるのですが(子供や家のローンがあるとまた状況は変わるんでしょうけど),それはそれとしてシェアウェアにお金を払うときは,金銭的な躊躇とはまた違ったためらいがあります。私だけでしょうか? それと逸脱ついでに言いますが,学生の頃は,なぜあんなに社会人がお金を持っているのか不思議でならず,よく分からぬコンプレックスから見返してやりたくなるような暗い情熱を抱えていたものですが,これは学校にも行かずにバイトしていると考えればその不条理さも実はまったく理にかなったものだと思います。しかし,それが理解できたとしても学生の生活が楽になるわけではなく,その点,araken さんは学生でなくなっても学生の生活の実情をちゃんと覚えているのだなぁと感じたものでした。つまり,プログラムを作る時点で学生のことまで考えが及ぶというのがちょっと偉いと思ったのでした。もちろん,タダで使えるから使い始めたというのも大きな理由の一つではありましたけど,作者の細かい配慮に,少し感じるものがあったというのも本当の話です。

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テキストファイルを知った日

当時私は大学の演劇部に所属していた。学生演劇というのがまた貧乏人の集団なのだけど,まあ,それは今回の話とは違った話になるので,ここでは置いておく。その中でも私は脚本を書いていて,やりたい芝居が次から次へと頭の中に浮かんできては止まらない状態が続いていた。化けの皮が剥がれる前に自分で剥がすが,もちろん大評判になるほどの活躍をしたわけではない。それよりもこの業界(演劇界,ひいては日本のショウビジネス)を,表に触れることもなく陰で支えている多くの人に会うことができたことの方が収穫だった。しかし,その収穫そのものもここでは関係のない話なので脇に置いておく。ここで問題になるのは,次から次へと大学一年生だった自分の頭の中に浮かんできた,登場人物のとめどないおしゃべりの記録方法である。

こんなことから話し始めるのは少しためらわれるが,QXにまるっきり関係がない話でもないのでいいだろうと思う。ワープロの話だ。私にとってQXとの出会いは,それ以前の無知の時代から,もとから存在していたアメリカ大陸を見つけたコロンブスのような,ネイティヴ・アメリカン(DOS 時代からのちゃんとしたエディタのユーザー。このたとえがおかしな語弊を招かなければよいのだが)から見たら首を傾げたくなるような「発見」までが一番印象的な出来事なのである。たくきさんの「鉛筆代わりのパソコン術」を知るまで「エディタ」というものを知らなかった人なら,少しは私の気持ちも分かるのではないかと思う。

最初の脚本から公演をすることに決まり,当時手書きで A4 の大学ノートに書いていた私の脚本は,不特定多数の役者,照明,音響,演出と舞台監督が顔を突き合わせて相談するものになった。自分の書いたセリフを目の前で人が練習している様というのも筆舌に尽くしがたいものがあるが,それも今回の話とは関係がない。とにかく,みんなが「○○が出てきて退場するまで」とか「××のシーン」などと場面を確認しながら練習するためには,Bの芯で書かれたシャーペンの字ではなく,もう少しマシな,読みやすい字にする必要があったのである。

この辺の事情は,年賀状を書くためにワープロを買う人とあまり大きな差はない。最近ではそんなこともないと思うが,今の御時世で年賀状のためにパソコンを買う人というのはいるのだろうか?

はじめに使ったのはパソコンではなかった。当時まだウィンドウズ95も発売していなかった。こんな所から話し始めていいのだろうかと躊躇したのはそういう事情によるのだけど。まあ,手短かに話そうと思う。はじめに使った道具はワープロ専用機である。東芝のルポという機種だ。同じ演劇部の女の子が,高校生のときに買ってもらっただか譲ってもらっただかしたもので,ワープロ専用機としても古いものだった。だが,タダの道具というのはそれしかなかったのである。もう一つ,丁寧に清書してそれをコピーするという選択があったが,長い脚本,最初から最後まで神経を張り詰めて清書などできるはずもないのである。そのワープロ専用機は(え? 貸してくれた女の子が何者かということの方が気になるって?)2DD のフロッピーをフォーマットして,原稿用紙四枚分程度のファイルが32個セーブできるというちょっと頭を抱えて転げ回りたいような代物であった。当時ブラインドタッチも知らなかった私は,ほとんど人差し指で手書きの原稿を電子化していった。情熱というものはおかしなもので,それでも不便な道具を使いながら四本くらいは脚本を書きちらしていた。とにかくその頃は自分のペースが信じられなかった。書くものがたくさんあるので,ワープロによって少しでも人の読みやすい字が書けるようになったことが嬉しかったのだ。だが,そうは言っても,平行するように大学ノートの原稿も増えていったけど。ワープロを貸してくれた女の子とは別に何もなかった。

それから大学でパソコンを買う同級生が増えていった。大学に情報処理コースがあったので,そっちに進む人間には必須であったが,そうでない人間にとっても大学時代というのはパソコンを持つにはいい頃合いだと考え始める時期でもある。私も小さい頃からコンピュータというものに憧れていたので,始めるなら今しかないと思っていた。ウィンドウズ95が発売し,結構な騒ぎになっていた頃である。全然関係ないが,その頃の評論家が「コンピュータのOSというのはビルのエレベータのようなもので,高性能のエレベータができたからといってビルを買うのはどうかと思う」と言っていた。なぜこんな話を覚えているかというと,演劇部で私が大嫌いだった男がテレビのそのコメントを聞いて鬼の首でも取ったかのように得意げに馬鹿にしていたからである。結果としてとても便利なビルは,ただのビルではなかった。私は MS-DOS の大ヒットはまるで知らないが,ウィンドウズのヒットは,多分,長い間私の心に留まるのではないかと思う。

演劇部の貧乏人までパソコンの話題を話し始めたときには,私もパソコンを買おうと心に決めていた。秋葉原を何日かウロウロして決めたパソコンは,アウトレットの富士通のFMV(デスクパワー)であった。一太郎モデルである。オールインワンという奴で,なんだか色々なソフトが付いていた。ちなみに今は実家の両親が使っている。

なかなかテキストファイルの話にならないのでやや不安になってきた。ここでやや急いで話を詰めようかと思ったが,やや詰めた所で長い話がやや長い話になるだけで,解決にはやや遠い。頭の中では話したいことが順番を待って次から次へと浮かんでくる。これは芝居の脚本ではないので,面白そうな話に発展する可能性があることにやや未練を残しつつ,ばっさりと切り捨てよう。

オールインワンパソコンについていた一太郎 4.3 では脚本の印刷にはとても使えなかった。ワープロ専用機よりはまだマシという程度である(話は思い切り飛ぶが,私は今でもたまにQXをやめてA4の大学ノートに戻ろうかと思うときがある)。文章を印刷するにはワープロで書くしかないと私は思っていたし,ワープロ専用機からワープロソフトに移行して文章を書きまくるのは私にとってはとても自然なことだった。この辺はインタビューでも答えているのであらすじは知っているかと思うが(まだ読んでいない人は,yook さんのページの直撃インタビューを読んでみましょう。同じ CD-ROM に収録するという話だったので,簡単に見つかるでしょう),閉じ括弧のぶら下げ印刷のために買った一太郎8も無駄な買い物だった。アカデミックパックでよかったと言うべきか,事前にもっとよく調べるべきだったと反省するべきなのか,よく分からない。多分両方だろう。私がテキストファイルを知ったのは,実はエディタを知ったときと同時であった。

どこまで書けるか分からないが,バッサリ切った話についてはこちらの方でできる限りの補強をしている。興味があればこちらを先に読んで,また戻ってくるとよいかもしれない。目次以外のリンクは(つまり本文中のすべてのリンクは)すべて同様の補足説明のページにリンクしています。

私がインターネットを始めたのは(「インターネットする」という動詞が一般的になりだしたのもこの頃)パソコンを買ってから一年後だった。今の私に言わせると――これを読む多くの人も同様かと思うが――ネットにつなげずになんのためのパソコンぞといいたいところだ。だが,脚本が目的だったその頃の私にとっては,たとえ評判になっていても自分にとってはネットが不必要な世界だったのだ。世間に意外と多いとされる,ただの「メジャーなんとなく嫌い症候群」だったという気もするが。

ご存知だとは思うが,インターネットあってのテキストエディタ,インターネットあってのテキストファイルである。接続してすぐに「ダウンロード」を覚え,いくつかのダウンロードサイトを覚えた。フリーウェアを知り,EmEditor Free を知った。すぐに限界を感じ,ニュースグループに助けを求めた。

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QXを知った日

残念というより恥ずかしかったので嬉しいのだが,私が利用しているニュースサーバには既に私の投稿は残っていない。私が初めて使ったエディタは前述のように EmEditor Free であった。どうしてこれを選んだかというと,名前の通り,タダだったからである。その頃私はやっと窓の杜やベクターを覚え始めたので,それを覗きながら何を使おうかなと迷っている段階であった。EmEditor Free が目に止まったのは,禁則処理,印刷機能などといった文字が紹介文に掲載されていたからだ。このエディタ,必要最低限だが,メモ帳に望む機能が全部付いているといった感じで,今でもばりばり使わせてもらっている。テキストファイルには今でも EmEditor Free を関連づけているくらいである(「QXじゃないのかよ」と言われるかもしれないが)。

QX党として EmEditor Free に言うことは何もないのだが,できれば日本語の全文字コードに対応して欲しかったというのがある。EmEditor Free は EmEditor としてシェアウェアになり,EmEditor Free の方はちょっともうバージョンアップはしないのではないかと思うのだが,それが残念でならない。まあ,最近は他にも多くのフリーのミニエディタがあるので,これを書いたのを機会に何か EmEditor Free の代わりになるエディタを探してみようかと思う(「だからQXじゃないのかよ」としつこく言われそうだが)。それはとにかく EmEditor Free はよいエディタであった。何がよいエディタかってヘルプが何も付いていないのがすごい。テキストファイルが一つ,添えつけられているだけである。それでもメモ帳から移行してきて,何をやればよいのか感覚的に分かるというインターフェースがよい。使い始めるのにあまり戸惑いがないのである。

で,EmEditor Free だが,禁則文字を設定して,結構マメに印刷してくれる。縦書きはもちろん,印刷プレビューもサポートしてないが,まあ,横書きでもきちんとした書式になってくれるのでとりあえずはそのままで行こうとした。だが,芝居の脚本を EmEditor Free ですべて書くのはちょっと無理がある。具体的にどこがと言われると即答はできないのだが,「ほら,あれ,とにかくちょっと無理っぽいじゃん」ぐらいの発言で勘弁して欲しい。実を言うと当時何が不満だったか覚えていないのだけど,禁則関係でちょっと不満があったのだと思う。ニュースグループへの投稿が,ワープロソフトの禁則処理についての愚痴になっていたからだ。サーバーには残っていないけど,記憶の中にはちゃんと残っている。

ニュースグループにワープロソフトへの不満と,閉じ括弧のぶら下げ印刷ができるエディタはありませんかと投稿したところ,大抵のエディタができますよという返事と,主要なエディタの名前を教えてもらった。もちろん,回答の方もサーバにはないので,誰だったのか思い出せないのだが。秀丸やQXの名をこのときに教えてもらった。ほとんどすべてのエディタの名前を挙げられたように思う。

ダウンロードサイトには確かにあった。エディタというカテゴリは,ダウンロードサイトには常識的に存在する。パーッと見てダウンロードしたのが「テキストエディタQX」だった。

まあ,この辺でちょっと脱線すると,誰でもそうだと思うが,私にもパソコンを教えてくれた友人がいて,ダウンロードやチャットの存在は彼から教えてもらった。彼は特にエディタを使っていなかったが,ある日,秀丸を使い始めた。私は既にQXを使っていたので,それからは情報交換ができなくなってしまった。ま,今考えると,そういう事情だからこそメーリングリストに参加したわけだし,そこでまた同じエディタを使っていたら,なんだかいつまでもべったりしていた気もするので,よい出来事であったような気もする。

関係ないついでに秀丸というエディタについても多少は言及しなくてはいけないような気がする。私のパソコンには秀丸が入っていないし,そのためだけにダウンロードするのも面倒なので,以下の文章は別に秀丸を見ながら書いているわけではないのだが,まあ,その辺は覚えて置いてもらって,ちょっとだけ書く。話はズレるが,噂では秀丸のお金を払ってないと,秀丸の作者のサイトのページも,一部,表示できないと聞いたんだけど,本当だろうか? QXに不満を覚えて秀丸をダウンロードしたこともあるんだけど,起動したときから「金払え」とうるさかったのを覚えている。いや,悪いことじゃないんだけどね。まあ,やっぱり好感は持てないよなぁ(独り言)。秀丸というのはQXと同じくテキストエディタなんだけど,歴史としては秀丸の方が古いそうである。伝え聞く話ではあるけれど,多くの人がそう言うので間違いはないと思う。っていうかQXは,秀丸やその他のエディタに不満を持った araken さんが作ったエディタという話も聞いたような気がするんだけど,まあ,その辺,未確認なのであまり他言はしないように。どんどんズレますが,これを読んでるあなたが既存のエディタに不満を持ったなら,自分で作ってみるという選択肢もありだと思う。これはマジな話だ。私もQXの BackSpace の Undo 時のカーソル位置が戻らないのが長いこと不満で,自分で作ろうと思っていたんだけど,つい最近,QX v6.3β でついに実現されて,もう私はウィンドウズのエディタを自作する必要がなくなってしまった。けど,私の話は置いておいても,無ければ作るというのはとってもいいことだと思う。それに,なんでもそうだけど,使っていると不満が出てくるというのはよくあることだ。映画を観ていて,最近の映画はつまらないと思ったら,それはあなたの時代の幕開けかもしれない。これを読んでいる人には作家志望の人も多いかもしれないが,そうでない人も,本を読んでいてつまらないと思ったら,面白い小説を書く下地があなたの中に出来上がっているということだ。どんどん脱線するけど,私はおよそあらゆる「新しい物の力」を信じる者だ。最近の映画はつまらない。ゲームはもう限界に来ている。文学などギリシアの時代にすべて出尽くしてしまった。そんなありとあらゆるくだらない言葉を,私は信じない。新しい物は,古いものの上に構築された,一番すばらしいものだ。新しい物の出現によって,今まで新しかった物が古い物になるのは,とても寂しいものかもしれないが(なぜなら,これには人間そのものも当てはまっているからだ),だからといって新しい物を否定しても仕方がない。それよりも新しい物の誕生を純粋に喜びたいと私は思う。今の物を越えるもっとすばらしい「新しい物」が存在し,いずれ登場することを私は常に信じている。それが出尽くすなんてことはないと思っている。もちろん,あなたが満足している限りは,別に無理して新しい物を作らなくてもいいのだが。

ちょっと熱くなってしまった。何の話だっけ? どこまで戻せばいいんだ? ……そうそう。結論として次のように言いたかったのだ。エディタというのは色々な種類があって,あなたに合ったエディタもきっと見つかりますよ,と。そして,見つからなかったら自分で作ってみてはいかがですか,と。その結果として秀丸が気に入っても別に私は構わない,と。だが,QXをバカにするなよ! 俺のQXをバカにすんなよ!と。……熱くなりついでにちょっと熱く書いたけど,たかがエディタである。バカにするのもそれはそれでアリだ。実を言うと,人前で秀丸を罵倒したことも何度かあるし,QXを罵倒されたことも何度かある。当たり前だけど使っているエディタと人間性はまるで関係ないので,QXを罵倒する人が悪人ばかりではないし,私は会ったことがないが,QXユーザーにももしかしたらとんでもない悪人がいるかもしれない(今思いついたけど,脅迫状をQXで書いたことが手がかりになるミステリーって成立するだろうか?)。まあこの辺,私ごときが言ってもどうにもならない部分なので,せいぜい楽しんでください。楽しめればそれが一番だと思う。腰砕けな結論で申し訳ないけど(「俺のQX」ってギャグなんですけど,一応,この表現を怪訝に思った方のためにフォローだけはしておきます。この表現はギャグです)。

さて,QXをインストールして(その頃は C:\Program Files\QX に素直にインストールしていた),起動して,「げげげ」と思った。関係ないが私は秀丸のデザインもQXのデザインも受けた印象はあまり変わらなかった。まあ,この辺,今まで一太郎を起動していた人間がQXを動かすのだから仕方ないのだが,どうにも無気味だった印象がある。しかも何を思ったか背景は黒で選択していた。だからもう最初に表示されているのが(無題)ファイルだとも気がつかなかった。

QXのファーストインプレッションはどうでしたか?という質問は結構多いし,質問されなくても皆が感想を言う部分だ。そして,それはとても興味深い。これを読んでいるQXバージンのあなたは一体どんな感想を抱くのであろうか? この本でなくても,かつて起動したことのあるQXに対する第一印象でもいいんだけどね。私は本当にあまり覚えていない。ただ,これは本当にウィンドウズアプリケーションなのかということはちょっと思った。まったく失礼な話だけど。

使いはじめに最初に考えたのが,まあ,EmEditor Free を使っていたこともあって,配色の変更はどこだ?(どこで設定するんだ?)ということで,それから,禁則処理の設定はどこだということだった。それからすぐに,書式は拡張子ごとに設定できることを知り(のちに特に拡張子でなくてもよいことを知った),キー設定をして保存終了を知った。その頃の画面解像度は 800x600 だったので,ファイルを開くと,ファイルのウィンドウ(子ウィンドウとかドキュメントウィンドウとかいう。QXのヘルプではドキュメントウィンドウと呼んでいる)の「最小化」「最大化」「閉じる」の三つのボタンの一つ(「閉じる」ボタン)が一段下にきてしまって,ちょっとかっこ悪いことになった。どういうことか分からない人はQXの横幅をグリグリと小さくしていけば分かる。それと最初のツールバーにボタンが多すぎたので,それの変更画面も探した。ツールバーを減らした時点でとりあえず落ち着いたので,ドキュメントウィンドウのウィンドウボタンのズレはとりあえず気にしないようにした。もちろんとても気になったけど。後になってこれはプルダウンメニューの「その他」を「他」に変えることであっけなく解決した。すぐにやればよかったのだが,二ヶ月以上は耐えていたと思う。なぜなら,そこが変更できるとは思わなかったからだ。QXの紹介文に,メニューやキーが自由にカスタマイズできる高機能エディタと書いてあるにもかかわらず,私は,何かそれを別のことだと思っていた。繰り返すが,そこが変更できるとは想像もしなかったからだ。

いきなりカスタマイズのことを書いてしまったが,私は起動と同時に設定変更を余儀なくされたので(それまで背景は白,文字は黒という固定観念を持っていて,初期画面がそうではなかったので)これらはQXを知った日の出来事と言ってもよい。ツールバーが長すぎたりもしたからね。ちょっと話がズレるが,その頃私は自分のしていることがカスタマイズだとは思っていなかった。もっと正確にはカスタマイズという言葉の意味を知らなかった。結構しばらくの間,自分のしていることは「設定変更」だと思っていた。カスタマイズ(customize)を私の電子辞書で引いてみたら「〜を注文で特製する」と出た。カスタム(custom)だと「得意先,注文」だそうである。カスタムカーのカスタムと,カスタマーサポートなどのカスタムが出てきたわけだ。だから,私は今でもカスタマイズの正確な意味を知らない。自分の特製仕様に設定変更する,みたいなことだと考えている。ま,だから行為自体は「設定変更」なわけである。多分ね(すぐ下の,「参考:知らない言葉」もどうぞ)。

さて,振り返るとこの「QXを知った日」は「テキストファイルを知った日」より文が長くなっている。補足説明のページを入れればこちらの方が短いが,それでも長い。既に話は終わりに近づいている。最後にマクロの話をしよう。

当時QXのマクロは「QX拡張キット」という名前で,本体と別々に配布されていた。拡張キットだけバージョンアップすることがあるからという araken さんの配慮からだ。私は araken さんのページで見て,その存在は知っていたが,別に拡張機能など要らないやと思ってダウンロードしていなかった。ところが,QXを起動すると,プルダウンメニューに当然のような顔をして「マクロ(ホントは半角カナ)」などというメニューがあるではないか。だが,プルダウンするとすべて灰色で実行できない。ステータスバーに「拡張キットがインストールされていないので実行できません」というメッセージが表示されるのみだ。だが,素人の例によって,私はマクロという言葉を知らなかったので,マクロが一体何をするものなのか,何のためのものなのか,大体にしてそれはファイルなのかプログラムなのか,メニューにあるくらいだから機能のようなものなのか,機能だったらなぜ機能といわずマクロなどというのか,ミクロとは何か関係があるのか,といったことしか考えられなかった。知らない言葉に遭遇し,また,それを説明してくれる人も身近にいなかった私は,知る術をなくしてただ不安になるだけだった。コンピュータの世界では実に多いことだ(参考:知らない言葉)。

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マクロを知った日

マクロを使い始めたきっかけも,一つの不満というか,要望というか,そういったものであった。HTML 編集である。QXを使い始めてまだ三年程度だというのに(三年というのは充分に長い時間ではあるが),私はQXにまつわる色々なエピソードを既に忘れつつある。以下のマクロを知った日のことなど,この出張ホームページの話がなかったら二度と思い出せなかったのではないかと思う。今,これを書きながら,ねこみみさんに出した要望や質問のメールを思い出しているからだ。多分,危ないところだった。思い出せなくなるところだった。

プロバイダにホームページ用のスペースが用意されていたので,別に公開用というわけではなく好奇心からホームページを作ってみた。HTML ファイルをメモ帳で書いて保存し,ブラウザで開くとホントにホームページになっていたというのが面白くて仕方がなかったという,ホントに最初の時期があった。そのうち,タグを書いてブラウザで表示させるという行為そのものに飽きてきた頃,ちょっとはまともに見られるホームページを作ろうかなと思って,今度は本格的に HTML を書き始めた。ちなみに,この頃書いたページはサーバにはないし,ハードディスクにもほとんど残っていない。更新が一年ほど滞り,嫌気が差してすべて削除したのだ。

まあ,HTML を書くという段階から,ホームページを作るという段階に入ると,同じ種類のタグを繰り返し書いたりしなくてはならない状況が多々あり,タグをキーボードで入力するのがただの面倒くさい「作業」になってしまう。その頃から脚本にQXを使っていたのだが,HTML も,単なるテキストデータであるから,QXで編集ができる。QXで編集ができて,同じ作業の繰り返しがあるとなったら,これはもう専用のマクロがない方がおかしいというものである。果たしてそれはあった。ねこみみさんの「HTML作成支援マクロ Expert」である。QXのページからリンクが張られているのですぐに見つけることができた。

「拡張キット」のインストールはちょっと手間のかかる作業であった。README に書いてあることをそのまま実行すればよいのだが,つまり,マクロそのものはマクロフォルダに入れて,マクロを動かす「QXWMAC32.DLL」を本体のプログラムと同じディレクトリに入れるだけである。今は少し状況が変わって,拡張キットも一緒に配布するようになったが,まあ,とにかく以前はそうだったのだ。ほかにも色々入れなくてはならないファイルがあるが,基本的に,「本体のあるディレクトリ」か「マクロファイル用のディレクトリ」のどちらに入れるのか注意していれば問題なかった。それでもそれまでまったく実行できなかったプルダウンメニューの「マクロ(C)」のところが実行できるようになっただけでも嬉しかったことを覚えている。そして,初心者にはそれをするだけでもなんだかよく分からなかったのだ。

最初にインストールしたのは,サンプルマクロのほか,よだひでとさんの「作家用マクロ集」であった。それからすぐにねこみみさんの「HTML作成支援マクロ Expert」をインストールした。ちなみに 最初から「Expert版」などを使ってしまうのは私の(いいのかよくないのか分からない)癖である。どうも使っているうちに機能に不満を覚えてそれまでのものを捨てるくらいなら,最初から難解なものでも導入してしまった方がいいという選択に流れてしまう。ゲームなどで「ビギナー用(3ステージまで)」と「実戦(全7ステージ)」などがあったら,たとえ3ステージまでいけないとしても「実戦」を選ぶ方なのだ(どうも途中で終わると分かっているものを始める気にならない)。

マクロフォルダにマクロを入れると(結局ただのファイルの移動なんだけどね),プルダウンメニューの「マクロ2」にぞろぞろとHTML編集のためのメニューが増えた。現在は HTML 編集用プルダウンメニューは専用のメニューに移しているが,まあ,別にどちらがいいという話でもない。実行するとさくさくタグが追加できる。使いはじめに気になった点はねこみみさんにメールを出した。色々素早い対応をしてもらった記憶がある。しかも,今思い出すと,面識のない人に出した初めての電子メールであった。両親にあげたデスクパワーに入っていたメールは一応フロッピーにバックアップを取っているので,今でも探せば見つかると思う。色々書くとねこみみさんに迷惑がかかるかもしれないのでこの辺でやめておくけどね。

ねこみみさんの「HTML作成支援マクロ Expert」を起動して,すぐにその,エキスパートたる部分を使いこなすのは無理だと感じたので(大体,エキスパートじゃない方とどう違うのかもよく分かっていなかった……今でもエキスパートしか使ったことがないので分からないが),はじめはプルダウンメニューからの入力だけにとどめておいた。それだけでも非常に重宝した。すべてのメニューにショートカットキーが割りつけてあったので,段々マウスでメニューを選択することもなくなり,いつの間にかばりばりのキーボード派になっていた。キーボード派についてはこの少し後で書く。

ねこみみさんのマクロを使っているうちに,ちょっと属性を付け加えたいなと思った。最初は,よく覚えているが,リンクタグのターゲット属性である。フレームを使ったページを作ろうと思ったら,リンクタグにターゲット属性は必須であり,初めの状態では定義されていないので,その部分を追加する必要があった。私の,タグ定義ファイルデビューである。ところでフレーム表示やそれに伴うリンクタグのターゲット属性などは,相手の環境を選ぶので,それを考慮したページを書く場合,最初からターゲット属性があっても邪魔なだけである。だから,最初の状態で定義されていないのは正しいのだ。

さて,ここまで書いて,HTML について知識のない人にはさっぱり分からないだろうし,ねこみみさんのマクロを使ったことのない人にもまた,分からない内容になってしまったことに気づいた。気づくのが遅いと言われるかもしれないが。HTML について説明することも,ねこみみさんのマクロについて説明することも,やりだすときりがないのでどうしようかと思った。それで,補足説明のページでできる限り解説することにした。もっとも,そちらに力を入れるよりは,この話はこの辺で切り上げて,次の話題に移る方がよいと思ったので,補足説明に関してはかなり投げやりにする予定なので,リンク先で失望しないように。→HTML と「HTML作成支援マクロ Expert」について

マクロを自分で書くというのはまだまだ先のことだった。何より,それまでの「演劇の脚本を書く」という需要の中ではマクロの必要性というのはあまりない。それが HTML 編集になったとて同じこと。ねこみみさんのマクロをいじる必要性などもほとんどないのである。そういう意味で,私がマクロって便利だと思った事柄というのは,実はマクロである必要性はほとんどない。使う立場から見れば,QXの機能が増えて,よりいっそう便利になった,といった程度の認識でしかないからだ。では,本当にマクロって便利だと思ったのはいつだろうか?

マクロというのは,まあ,一定の処理をまとめて一つの処理としてプログラムに実行させる,「ちょっと大きな処理」みたいなものだ。たとえば(すごくくだらない例だけど),自分が改行を押したときに音が鳴るようにしたいとする。ただし,改行もちゃんと挿入する。つまり,改行と音を鳴らすという処理をまとめて一つの処理としてやって欲しいわけだ。そういうときにマクロを使う。「たくさんの処理をまとめて一つの処理としてやってしまう」といっても,あまりに大きすぎるまとまりは作れない。もっとも,普通の編集作業をちょっとまとめたいという程度ではその限界は現れない。マクロの限界にきていると言われているねこみみさんの CSV 編集マクロなどを使ってみれば,その限界がいかに広いものか分かるはずだ。

芝居の脚本にしても,HTML 編集にしても,(このページを見れば分かるかもしれないけど)まとまりのある繰り返し処理などほとんどない。だから,繰り返しの操作を肩代わりしてくれるマクロも,私のQXライフにはあまり登場しなかった。もちろん,これを書いている間にも HTML 編集マクロは使っているわけだけど。私の繰り返し処理など,置換とかキーマクロなどで解決してしまうものがほとんどである(キーマクロはマクロと違い,純粋にQXの機能を順番に覚えて,それを実行してくれる機能。たとえば,「一行移動して,行末に移動して,改行を削除」なんて繰り返しをこなしてくれる機能。拡張キットをインストールしていなかった頃はよく使ったし,今でももちろん,マクロを書かなくてもいいときはキーマクロを使う。

さて,ここまで書けば,私は今は,マクロを自分で書き,使いこなしているのかと思う人もいるかもしれない。正解は,まあ,本当に繰り返し処理が面倒だったときはマクロを書く程度にはなった。マクロを使っていて,どうしても自分の要求する機能が欲しかったときに,それを見よう見まねで改造していったからである。おかげで少しずつマクロのことが分かるようになってきたのだ。たとえば,印刷メモの挿入のサンプルマクロに「傍点丸」がなくて,どうしても「傍点丸」を入れたくて仕方がないときなんかにね。

個人的に,初めてマクロを「書いた」と思ったのは,自分のホームページのテンプレートを挿入するマクロを書いたときだ。カテゴリが三つに分かれていて,それぞれのページには「前へ」「次へ」などといったボタンがあり,表紙へのリンクもそれぞれ付いている,といったような「日記ページ」だった。何度も言うが,今はすべて削除してある。そういうのをいちいち最初から書くのは面倒だったので,初めて私は本格的にマクロを書こうと思った。ま,結論を先に言うと,三つのカテゴリのうち,まともに動いたのは一つだけだったが。

今ならもっとちゃんとしたものが書ける自信がある。だが,何も知らなかった男が,ヘルプとサンプルマクロだけ見ながら書いたにしてはなかなかよくできていた。別に,誇りに思うほどよい出来でも,すごく便利だったわけでもなかったが。ところで,この頃はまだねこみみさんのマクロは開いて目を通してもいなかった。本当に訳がわからなかったからである。私がこの最初に書いたというマクロを覚えているのは,初めて自分のおなかを痛めて生んだ子供だったからである。ダイアログの座標をいちいち実行して確認していたのもよい思い出だ。

マクロに関しては,ユーザーが遊べる不思議な空間だと思う。ねこみみさんのゲームなんかをやってるとしみじみ思うのだ。何万円もする統合開発環境ソフトを買うのもいいけど,QXでプログラミングもなかなかオツなものだと思う。およそ,テキストエディタのやれることを越えているような気がするし,そういう細かいところを狙うのって楽しいと思うのだ。

さて,マクロとの出会いと思い出の話もここまでだ。こうして振り返ると,マクロとの出会いにはそれほど劇的なものがない。あえて言うなら,説明も読まずに実行したマクロの停止のさせ方が分からなくて混乱したことくらいだろうか。

今,「あれはなんだったかなー」とプルダウンメニューを見てみた。そして,すぐに思い出した。よだひでとさんの「新生アウトラインマクロ」である。説明を読まない方が悪いのだが,まあ,普通マクロといったら,「指定行桁に整形」とか,そういう,実行したら終了まで一直線だと思っていたので,ほとんど何も考えずに実行したのである。そうしたら突然QXがなんの反応も返さなくなったので驚いた。実際,その時はQXを強制終了させたくらいである。それから,ESC キーでメニューを表示させるという説明を読んで納得した。そのときのパニック状態は今でも覚えている。コンピュータを使っているときのパニック状態というのは,他のパニック状態と同様,冷静な判断力を失わせるものである。

ではここで,キーボード派についてちょっと一言触れておこう。キーボード派とは,つまり,入力時にキーボードから手を離すのが嫌で,マウスでやるような操作もすべてキーボードからやってしまう一派のことを指す。

まあ,グラフィックなどを描いていても分からないと思うが,文章などを書いているときにキーボードから手を離し,マウスでどこかをクリックして,またキーボードに手を戻すのは,意外と手間がかかるのである。もともと入力しているのが文字だったりするとどうしてもキーボードから手が離せなくなるし,たとえどんなに手間がかかっても,キーボードから手を離さなければ,集中力は持続するものなのである。逆に,マウスで操作すると,次に書こうと思っていた文章を忘れることもよくある。そんなわけで,あの操作,この操作はキーボードでできないかと思ってショートカットを覚え始めて,それを使い始め,手になじんでくると,はたから見て,キーボードから全く手を離さずにウィンドウズを使っているという無気味な光景を披露する羽目になる。私はそれでもマウスにたまに手を伸ばすが,世の中にはもっと全然使わない人もいるらしい。多分,すごい光景だろうなと思うのである。

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QX_MLを知った日

MLそのものが初めてです。
何か、暗黙のルールに触れたら教えてください。

質問は
QXエディタに私の欲しい機能があるか、ないか、
ということです。

ちなみに私はQXユーザーであります。
つまり、
「見つからないんだけど、こういう機能はある?」
という質問であります。

私はQXを縦書きで使い、縦書きで印刷することがよくあるのですが、
文中にある半角英数字は横書きで表示され、印刷されます。
縦書きの中で、半角英数字だけ横倒しになった形です。
これを、二文字を横に並べて縦書きの中に組み込むことは
できるかという質問です。
漫画などにも!マークと?マークが並んだ記述が
よくありますが、あれを縦書きで印刷に出せるかというのが質問です。
具体的にいうと、



!?


とか


23



といった記述です。
これが縦書きで印刷できるのか、できるのならやり方を、
それともできないのか、それを教えてほしいのです。

もう一つ質問があるのですが、それは別の質問です。
もう一つメールを書くべきなのか、続けて書いてよいのか分かりませんが
メールの数は少ない方がいいと思ったので
続けて書きます。
(分けた方がいいのか、アドバイスをください)

横書きの記述で「“”」がありますが、これを縦書きにすると
「“」が右上に、「”」は左上につきます。
(当たり前ですけど)これは縦書きとしては
美しくない位置です。私としてはこれで語句を挟んだとき
「“”」がそれぞれ、右下、左上、
つまり括弧(「」)と同じ場所に配置されてほしいのですが、
そのような機能はありますか?

質問は以上です。わかりにくいようでしたら、
また、表現を変えて質問しようと思います。

署名は古いものなので削除してある。これが私のQX_MLデビューにして,メーリングリストデビューである。これは現在のパソコンの中にも入っている。過去ログの中に,もちろん入っているのである。

この文面から分かるのは何であろうか? まあ,もちろん第一印象に色々あるけれど,それはちょっと後ろの方に置いておいて,まず,ネットニュース出身者としてのムードがやけに漂っていることである。私も今改めて読み直してそのことに気づいた。この,なんだか笑ってしまいそうな慎重さは,多分,その頃影響を受けていたニュースグループのものだ。もっとも,ニュースグループでもこんな投稿はほとんどお目にかかれない。

さて,これはもちろんよく覚えているのだけど,私が何か始めるときは,結局不満が溜まって,その解決策を求めて行動するというパターンが多い。QXそのものの導入もそうなら,マクロもそうである。そして,QXメーリングリストへの参加も同様であった。

初めての投稿の,二つの質問のうち,最初の質問はいわゆる「半角縦中横」についての質問である。この頃,QXのバージョンは 5.1 であり,そこで既に実現していた機能だった。私の使い始めが 4.5 からだったので,バージョンアップしたときに気がつかなかったものと思われる。二番目の要望はちょっとさすがにワープロ寄りの機能である。まあ,要望として出すなら{回転 90}”{/回転}{回転 270}”{/回転}みたいな特殊メモがあるといいのだろうけど,さすがにそんな機能,図々しくて要望として出せない。現在は外字エディタでそんな文字を作って,それを印刷している。どうしても欲しいと思ったら要望するかもしれないが,今のところ私は外字で満足しているので(それ以外にも個人的に必須と思われる外字がいくつかあるので,{回転}の特殊メモが実現されても,外字の使用からは逃れられない)しばらくはそんな話をする予定はない。ずっとしないかもしれない。もちろん,外字を使うとテキストファイルの汎用性はなくなってしまうのだけど。

メーリングリストというのは,もはや説明不要だとは思うけど,参加者がいて,メーリングリストに出したメールをそのメーリングリスト参加者全員が受け取るというシステムだ。システムなのかどうかはちょっとよく分からないけど。基本的に HTML メールは嫌がられる。参加すると,自分がメールを書いていなくても参加者同士のメールのやりとりがそのまま自分にも送信される。まあ,そんな風にしてQXやQXファミリーのアプリについての情報を交換しているのである。

さて,最初の頃の自分の投稿を読み返してみると,結構生意気である。それどころか,礼を尽くしているつもりなんだろうけど,なんだか失礼な発言も多い。まあ,客観的に見れないので,今の自分はその頃に比べて変わったのかというとちょっとよく分からないけど。初めて QX_ML に参加したときのことを思い出すと,こんな高機能なエディタなんだから,色々分からない人も多いだろうし,そうするとみんなで相談する場の必要性というのも発生するんだろうなと思った。もっとも,使い始めてから一年以上参加しなかったことからも分かるように,わたしはQXのすべてを使いこなすことにあまり執着していなかった。そんなにQXの話題を色々出されても,ほとんどが自分には関係のない話だろうと思って,特に参加しようとは思っていなかったのである。多分,最初の不満がなかったら,まだまだ QX_ML への参加は遅れていただろうと思う。

参加してすごく戸惑ったのは,マクロについての話題が多いということであった。よく考えてみればこれは当たり前で,マクロこそ,分からないときに相談する人が必要な話題である。その頃の私はマクロを自分で組もうと思っていなかったので,何か話があってもちんぷんかんぷんであった。もっとも,今でもマクロの話題にはほとんど参加できないけど。ほかにはあまり印象に残っていない。ただ,メーリングリストというのはなんだかうまく話題に入れないときが多い。読むだけの状態を ROM というんだけど(もともとは確か Read Only Member という,発言しない参加者のことをいうらしいが,日本語の常で,ロムるなどといった動詞になったりしている),私も読むだけ読んで ROM ってしまうことが多い。もっと多いのが,「お,これは答えられる」と思った話題でも,既に回答されている場合である。回答にちょっと一言付け加えられるときはそうするが,最近では,そのちょっと一言さえ既に出ている場合も多い。まあ,それでも同じことを自分の口から言いたい人もいるだろうが,私は特にそういうわけでもないので,そういうときは素直に見送ることにしている。

そんなこんなで最初の質問の山を越え,特に質問もないのでその後ずっとロムっていた。もともと,質問するために参加したのであって,誰かの質問に答えられるとは思っていなかった。ただ,細かい要望はいくつか出したような気がする。

さて,しばらくロムっていると,araken さんの発言が出てきた。他の人がどうか知らないけど,まあ,恐れずに書いてしまえば,私はソフトウェアの作者の名前などを意識して使ったことがないので,名前を見ても一瞬,誰だか分からなかった。次の瞬間にQXの作者だと分かったけど。その頃には既に有名な araken 節が爆発していたので,「返事が一行というのはどういうことだろう?」とちょっと考え込んでしまったことを覚えている。

ちょっと話はズレて,雑談を二つほど。フリーウェア・シェアウェアの作者について意識するというのは結構大事だと思う。そんなことを言っても私も急いで使ってしまうことが多いけど。それでも誰が作ったかということを意識しておくと,ネット上でのコミュニケーションが取りやすいというのがある。○○の作者の○○さんが,といった話し方をしていると,相手に誰なのか分かるし,名前を覚えているというのは作者や相手にいい印象を与えることにもなる。意外な名前を意外なところで発見するのも楽しいものである。こんなところで何やってるんだこの人は,というやつである。ちょっと話はズレるけど,私の名前で検索してみたら,NetBSD/mac68k メーリングリストの発言が出てきた。こんなところで何やってるんだと自分でも思うが,削除する前の私のウェブページのメインは MacBSD のページだったのである。JNetHack の沼田さんの名前を,ネットニュースの全文検索サイトで見つけたときはちょっと愉快だった。そんなことはどうでもいいか。もう一つの話題は araken 節についてだけど,まあ,これは,優秀なプログラマにはこういう人が多いとよく聞くし,確かにそうだ。というか,優秀なプログラマはみんなこんな感じだったような気がする。どうしても作ることに特化してくると,説明するのが面倒になるらしい。もし,無愛想な人だと思ったら,それだけで判断するのはよくないと言っておきます。私など,いくつ要望を受け入れてもらえたか分かりません。まあ,却下されることもあるので,その時は腹を立てないように。

araken 節は戸惑ったが,作者のコメントを直接聞くことができるというのはいい感じだった。ニュースグループと違って議論にはならないし,フレームもないが(世の中にはフレーミングばりばりのメーリングリストもあるそうである。フレームが何かについては,補足説明のページを参照のこと),納得できず,腹を立てるということはない。そして,私のあとにもメーリングリストに参加してくる人がいて,またその人の質問に答える他の参加者の発言を見ていると,初めてのエディタでQXを選んだことと同様に,初めてのメーリングリストで QX_ML を選んだのは私にとってとても幸運な出来事だと思うようになった。

ダウンロードサイトのQXの説明を読むと,熱狂的ファンも多いテキストエディタ,というような紹介がされていることがよくある。私はこの本の雰囲気を知らないので,もしかしたらその通りに熱狂的な雰囲気になっているのかもしれない。しかし,私が触れることができたQXユーザーは皆紳士的で,あまり熱狂的とは言いがたい人たちばっかりだった。それよりも,ただQXが好きという人ばかりだった。世の中には愉快犯というのが結構いる。QXメーリングリストにQXをボロクソにけなした投稿をしてその反応を楽しむ,といった人がいてもおかしくないのだが,今のところそういう人は見たことがない。それに,多分,QX_ML の人は相手にしないのではないかと思う。熱狂的になればなるほど,そういう愉快犯が増えていくものだが,それが現れないということが,QXには熱狂的ファンとともに,おとなしいファンもたくさんいるということの表れなのではないかと思う。

QX_ML はおとなしい,友好的なメーリングリストだった。悪くないメーリングリストは多いけど,大抵のメーリングリストが持っている,初心者への素っ気なさがないところだった。これは珍しいことなのだと,他のメーリングリストに参加して,ロムをするようになってから気づいた。

そんなわけで,雑談したり,オフ会に参加したりして現在に至っている。結構楽しい。

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補足説明のページ


さいごに

現在,私は夜遅くにこれを書いています。この5分前に補完計画を含めたすべてを書きおえて,このあとがきを書きおえたら,推敲して終了という段階です。推敲にもそれなりの時間がかかると思いますが,とりあえず一段落ついたと言っていいでしょう。

少し谷間もありましたが,大体の部分においてなかなかよいと納得できるものができたように思います。納得できるものができたからこそ,人の意見にも耳を傾けることができるというもので,今,私は結構素直な気持ちで意見を受け入れる態勢ができています。現時点でのベストと言ってもいいように思います。惜しむらくはその気合いの谷間ですが,それを直すには少し時間が足りません(少し最後が駆け足でした)。

それにしてもなぜここまで自分は書いているのだと,キーボードを叩きながら少し疑問を感じていました。そして,その疑問への解答もキーボードを叩きながらすぐに言葉にすることができました。

演劇部を引退してから約二年が経過しようとしています。一年生の頃は取り憑かれたように脚本を書いていた自分が,やりたい芝居を形にしていくにつれ(その中には,公演もされず,脚本として自己完結したものさえあります),自分が空っぽになっていくのを感じていました。当然,ペースは落ちます。しかし,何も思いつかないものは仕方なく,一丁前にスランプ面をしていました。大抵の劇団は,こうなる前にもう少し別の理由で解散となります。私は劇団員というわけではありませんでしたから,一人で勝手に燃えつきることが許されたのです。誰にも迷惑はかかりません。

今回のたくきさんの呼びかけが,人様の前に姿を現すきっかけになりました。そして,おそらく,二年が経過して,それなりの言葉がまた私の中に少し溜まっていたのでしょう。内容はまさにQXのページに違いありませんが,やはり,自己表現というか,自分をアピールしている部分が感じられます。私の中に眠っていた,自己表現したいという欲求が,少し歪んだ形で姿を現しています。もっとも,それを悪いと思っているわけではありません。まえがきで書いたように,私は自分のことを書きたいと思うと同時に,誰かのこのような個人的なページを読んでみたいと思っています。自分が読みたいページを,自分も書いたと言えると思います。

本文中で,「私は新しい物の存在を信じる」と熱っぽく語っている部分がありますが,これにはいくらか補足を加えなくてはならないと思います。ですが,この話を始めると長くなってしまうので(実はちょっと書いてみたのですが,要約も難しい長い文章が現れたので削除しました),ここでは,もっとも遠い視点で見たもっとも大きな希望のことを指すということにして,逃げさせてください。私は人類にはぜひ宇宙に進出して欲しいと願っていますし,将来的にはいくつかの他の太陽系の惑星を改造して,生物が住めるようにして欲しいと思っています。その一方で,人類の全滅が必然であることも充分承知しています。地球や宇宙の歴史を知る限り,永遠に人類が繁栄するということは万が一にもないでしょう。その時,人類絶滅のときに,やはり他の新しい生命が現れることを信じています。そのためには,できる限りたくさんの惑星に生命を落としておく必要があると思います。もっとも,これもスケールの小さい話で,長い歴史の中で,「生物」が繁栄するのも永遠ではなく,あるいは実数空間と虚数空間の繁栄さえ一時的なものなのかもしれません。ですが,では,そういったものの何もかもが「止まる(死ぬ)」ということがあり得るでしょうか? 私は,次に現れる新しい物を信じます。私たちがここにいることが,その証拠と言えるでしょう。

私はホームページがないのですが,もしこれを読んでいるあなたがこのページを他の人にも見せたいと思った場合,あなたのホームページに自由に転載することを許可します。また,デザインの変更についても許可します。まあ,あなたのホームページのどこかに事情を書いておかないと,読んだ人が混乱するかもしれませんが。というか事情はそれなりに書いておいてください。それがいわゆる著作権表示にもなると思うので。

最後に,この場を与えてくれたたくきさんと出版社の SCC さんに感謝の言葉を述べて,あとがきのあいさつに代えさせていただきます(変な日本語である)。どうもありがとうございました。そしてもちろん araken さんにも,「どうもありがとう」。

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